2014年1月16日星期四
ルワンダ難民は虐殺した当事者たちだった
1994年に起きたルワンダの虐殺では、多数派のフツ族によって少数派のツチ族が殺害され、100日という短期間にルワンダ国民の約2割、80万人が犠牲になった。第2次世界大戦以降で最悪の惨事のひとつとなったこの事件は、映画『ホテル?ルワンダ』や『ルワンダの涙』によって日本でも広く知られている。
ルワンダからの難民が集まったもっとも有名なキャンプが、コンゴ民主共和国(当時のザイール)の国境、キブ湖の畔にあるゴマだ。ポルマンは事件直後、この難民キャンプを取材してなんともいいようのない違和感を覚えた。
ルワンダ虐殺を報じるテレビニュースを観た欧米のひとびとは、鉈で惨殺された死体が道路脇に積み上げられ、川や湖を埋める映像に大きな衝撃を受けた。やがてそれは家財道具を抱えて国境へと逃げ延びるひとびとに変わり、次いでゴマの難民キャンプが大々的に報道された。この一連の流れを見れば、誰もが虐殺の対象となったツチ族のひとたちが難民となって隣国に逃れたと思うだろう(実際、そうして難民化したひとも多かった)。
だが現実はもっと奇怪で複雑だった。
フツ族とツチ族は宗主国だったベルギーが統治のために人工的に生み出した民族で、ニューバランス スニーカー少数派のツチ族を支配民族として優遇したため1962年の独立前から両者の紛争は始まっていた。このときツチ族の一部が隣国のウガンダに逃れ、そこで軍事組織「ルワンダ愛国戦線(RPF)」を組織した。ルワンダでフツ族による虐殺が始まると、その混乱に乗じてRPFは国内に侵攻し、全土を制圧した。その結果、報復を恐れたフツ族の民衆が大挙して国境を越えて難民化することになったのだ。
欧米のひとびとがテレビで見たゴマの難民たちは、ルワンダでツチ族を虐殺した当事者たちだ。彼らが人力車などで運んできた「家財道具」は、皆殺しにしたツチ族の家から強奪したものだった。だがこうした事実はほとんど報じられず、「虐殺→難民→人道の危機」という構図に短絡化されることになる。ニュースの限られた時間では、ここで述べたような複雑な背景を説明できないからだ。視聴者は単純でわかりやすい話を求めているのだ。
ゴマの難民キャンプの近くには大型輸送機が発着できる仮設滑走路があった。ルワンダの虐殺と、200万人ともいわれる大量の難民の存在が知られるようになると、その現場を取材しようとジャーナリストたちが飛行機に乗ってやってきた(ポルマンのその一人だ)。
それと同時に、ルワンダ難民を“援助”すべく多くのNGO団体がゴマに殺到した。彼らが人道援助の対象にゴマを選んだのはフツ族を支援したいと考えたからではなく、滑走路があって報道陣がいたからだ。
NGOの寄付者(ドナー)は、自分が出したお金が有効に使われ、「人道の危機」にあるひとびとが救われる場面を(安全な場所から)確認して満足感を味わいたいと思っている。これは「消費者」として当然の要求だから、批判しても意味がない。
ドナーから多額の寄付を募ったNGOにとって、難民キャンプの近くに滑走路があるというのはまたとない好条件だ。輸送機をチャーターし、スタッフと援助物資を詰め込めばたちまち「援助」を開始することができる。おまけにそこには欧米のジャーネリストやテレビ局のクルーが待っていて、彼らの活動を報道してくれるのだ。
虐殺の被害者であるツチ族の難民がどこか別の場所にいたしても、ニューバランス レディースNGOはそんなところには行こうとはしないだろう。援助を開始するまでに何カ月もかかり、おまけに報道もされないのではドナーが納得しないからだ。
NGOにとっては、援助の対象が虐殺されたツチ族であろうが、虐殺したフツ族であろうがどうでもいいことだ。人道主義の原則は「中立性」(二者のどちらかを優先して協力することはない)「公平性」(純粋に必要に応じて援助を与える)「独立性」(地政学的、軍事的、あるいは他の利害とは無関係である)で、人道の危機にあるひとが目の前にいれば助けるのが当然だとされている。この原則は一見素晴らしいが、どこか偽善的でもある。「あなたのお金で救われたのは、ついこのあいだまでルワンダでツチ族を虐殺していたひとたちです」という事実はけっしてドナーには伝えられないからだ。
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